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チーズのパイオニア
江上でございます。皆様にお目にかかるのを楽しみにしておりました。江上ときくと、やや太めの母を思い出される方が多いと思いますが、私は息子の嫁でございます。
でも、長年一緒に暮らしてきますと、似てくるらしゅうございましてね、話し方とかこの辺が似てきたといわれますが、まだまだ私は勉強の途中でございます。
長野でデンマークチーズが売られるようになって二十年たったという事ですが、日本で初めて(ナチュラル)チーズが売られたのが三十年ちょっと前なんですね。
やはり長野出身の松平チーズアカデミー校長が、そのお人柄と頭の下がる思いのご努力で始められたのです。
当時、松平校長が江上の母を訪ねていらっしゃいました。私は嫁として鎮と控えていたのですが、松平校長が「日本にチーズを入れようと思うのですが、あちこちの一流ホテルへチーズを持って行っても、こんな臭いものとか、こんなしょっぱいものが受けるかなあという声ばかりです。実際にチーズは伸びていくものでしょうか」と母にお聞きになりました。
母は「私は長い間チーズが日本に入るのを待っていました。いろいろな西洋料理をお教えしたくてもチーズがないと出来ないものがとても多い、隠し味にしてもデコレーションするにしてもそうです。
西洋の文化の根源なのにチーズがないことが心細く残念に思っていました。是非やって下さい」と言いますと、「では、私の考えは間違っていなかったのですね」と松平校長がおっしゃってお始めになったのが三十年ちょっと前なのです。わずか三十年で日本の食生活の中でめざましく伸びている稀なる食品がチーズだと言えますね。
北欧のお国柄
私の学校へ外国の方が日本料理を習いに見えますが、アメリカの方はとってもジョークが好きで、説明も聞こえない位ワアワア賑やかなんですよ。しかもショーツやスニーカー姿のリラックスムードでいらっしゃいます。
それに比べるとフィンランドの方は、こちらでジョークを言いましても笑って下さらない。反応もあまりないんですね。でもお付き合いしてみると、とても素朴なんです。口が重いのはあちらの気候があまりに寒くて、それで口をなかなかあけないという事らしいんですよ(笑)。礼儀正しくて料理を習うのにネクタイをきちんと締めてダークスーツでいらっしゃるんです。
スウェーデンは歴史もあり大きな国で形式を重んじます。ちょっと昔のお話になりますが今の天皇様が皇太子時代にスウェーデンをご訪問になられた時の事です。各国を回っていらっしゃった皇太子様に何かありきたりでないお料理を召し上がっていただこうと、スウェーデン大使から、たまたまパリにいた母に依頼がありました。
母は「さあ何がいいかしら、北国だから鴨にしましょうか」と、水飴を鴨にぬり、吊るして作るいわゆる北京ダックを皇太子様におすすめしたんですね。すると「こんなおいしいものを食べた事がなかった」とおっしゃってとても喜んで下さいました。
その時に皇太子様が母に下さった服が、いま私の学校の仕事着になっています。
それから二日程たってからでしょうか。スウェーデンでは皇太子様の為にそれは見事なスモーガスボード(バイキング料理)を用意しましたのに、皇太子様が何とおっしゃったかといいますと、「あの時の鴨をもう一度食べたい」 さあ大変、ご存知のようにあの料理は鴨に水飴をぬって一晩置くんですね。母の友人は犬が来ないように鴨の下で編物をしながら番をしたという位に自然に乾かすのがおいしいんです。なんとか間に合わせて二度目の鴨を召し上がっていただきました。そのときのスモーガスボードは豪華絢爛、百二十種類もの格式あるお料理だったと母が申しました。
北国の大国
さて、本題のデンマークについてお話ししましょう。デンマークは気候風土が他の北欧諸国に比べると暖かくやさしいせいか人々も陽気で心が広く自由なのです。ジョークが好きで、人の集まる所では笑い声が絶えません。北欧のイタリー人といわれる位です。心が広いと言いましたが、その例をお話します。
日本でデンマークチーズを売っていらっしゃる代表にホルムさんという方がおられて、私に講習会をご依頼下さる時におっしゃいました。「デンマークチーズ、デンマークチーズと連呼しなくてもいいんですよ。チーズとはこういうものなんだ、こんな使い方をするんだ、こういう風に体にいいんだ、という事を日本の人々に分かっていただく事が私達の目的なのでデンマークチーズに拘らないで講習をして下さい」今までこのようにおっしゃる方はまずありませんでした。
余程、自信のある方の、また自信のある国の発言といえましょう。
清潔、品質、新鮮の三つのデンマークチーズのキャッチフレーズで生産・管理のすべてを国家がコントロールしています。小国と思われていますが、チーズのECの代表であり、日本に貸し借りのないバランスのとれた経済国で実力もあります。
ヒュッゲ精神
私はこれまで何度もデンマークを訪れていますが、いつも人の心の温かさを感じます。分け隔てせず受け入れて下さる。
デンマークの女性は日本よりも就職率が高くて忙しく働いていらっしゃるのに、「うちへいらっしゃい」「仕事の続きは我が家でしましょう」「それについて知りたいなら隣の家がいい実例ですから寄ってみましょう」と気軽に誘って下さるのには私はとても驚きました。
日本でも昔はお座敷があって、お漬物なんかも用意されていて、隣人をよんだり、結婚式まで自宅でやりましたよね。しかし今は、特に東京などは人を招くとなったら大変です。しゃっちょこばって、周りを片付けてからさあどうぞという感じですね。お料理も私は不得手だからケイタリングでという具合です。
ではデンマークの人々の心のこもったもてなし方はどこからくるのでしょうか。
デンマークの神話の中に次の詩があります。
● 戸外から来て寒さでひざが震えている人には火をあげなさい
● 山から降りて来た人には衣服と食べ物をあげなさい
● 祭りのために来た人には水とタオルと歓迎の言葉をあげなさい
この北欧の守護神オーディンの教えは、『ヒュッゲ』という言葉で受けつがれ、安らぎとかありのままに人に受け入れるという意味がこめられています。
諏訪さんからお聞きした話ですが、日本人でデンマークへ移り住んで十八年たつ友人を訪れた折り、迎えに出た友人と一緒に彼の自宅へ向かう途中にコペンの街で旅行中の三人連れの日本人女性に会いました。
友人は「何かの縁ですから一緒に我が家へいかがですか」と見知らぬ旅行者を自宅へ招きました。
話もはずみ、おもてなしを受けたわけですが、その三人の方々がとても恐縮して、「もうおかまいなく」「もう失礼します」と遠慮なさる。この気持もよくわかりますよねえ。
するとその友人がこうおっしゃったそうです。「見知らぬ人でももてなして良い気持ちで帰って頂くことがデンマーク人にとって大事なんですよ。ここはコペンですからこの国の人になったおつもりで楽しんで下さい。何よりのお土産として」
デンマーク流おもてなし
デンマーク人にとっておもてなしは決して難しい事ではありません。
普段からチーズを幾種類か用意しておいて、そのチーズを素晴らしい演出法で食卓に出されるんですね。組合わせにフルーツや木の実を使います。
ダナブルーチーズとクルミを合わせたり、クリームチーズとブドウを色とりどりのスティックで刺したものや、カマンベールの薄切りをクラッカーにのせて、サーモンやアンチョビーやニシンの燻製でも、あるものを上に飾ってもいいですね。
その横には房のままの果物とか殻つきのクルミをおきます。冷えたビールかお酒を用意し、あとはキャンドルやお花やテーブルクロスを使いまして演出します。これでどなたがいらっしゃっても素敵なおもてなしが出来るというわけです。
元気の出るチーズ
デンマークの人々の心の豊かさは、カルシュウムを多く摂っているからだと思います。カルシュウムはイライラを防いでおもいやりを多くします。デンマークの人は一人が一年間に十二キロもチーズを食べます。これは日本人の十倍の量です。チーズはまた積極的な活力も生み出してくれまして、私も毎日いただいていますので、どんなに忙しくても次から次へとお仕事の話をお受けしてしまうんですよ。
お子様の朝食にぜひチーズをと申し上げるのは、教室で上げようかな、どうしようかなと迷っている手も必ずさっと上がるようになると思うんです。(笑)
姑から嫁へ
私が江上の家へ嫁に来ました時、母が言いました事は、「自分の好きな食べ物を作るんじゃないよ」「人の出入りの多い家にしなさい」という二つでした。
自分の好きな食べ物を作らないというのは、いつも人の事を考えて作るようになりますね。私の子供と舅とは60才違いましたから、食事の好みにもバラエティがありました。子供も相手の好みの食事を取るうちに、小さいながら人のことを考え、容認する気持が出てきます。食べてみると案外おいしいんだと食の巾が広がります。
また、人様が多く出入りして下さるように努めますと、心をくだき、視野も広くなりますし、積極的になってまいります。
いろんな人の気持が手に取るようにわかってきますと、それが人生に楽しさを加えてくれるのです。私は母が言った二つの事をとても大事だと思っています。
これからの食卓
今や作り手が女性だけではない時代を迎えようとしています。
東京では、熱心に料理を学ぶ男性が増えてブームになっています。私は、これからは作れる人が作る時代になると思います。
それから、家族といいましても、同じ年代の人、同じ趣味を持つ人、同じ目的を持つ人同士が家族になる時代もそう遠くはないと考えます。作り手が時代と共にどう変わろうとも、食べることで私達の健康が作られ、食べることでみんなが豊かな気分になれることを忘れないで食卓を大切にしていきたいですね。
花を飾り、キャンドルを置いて、「いつでもいらっしゃい」と心を開き、食卓を解放できたら、どんなに素晴らしい事でしょう。
1992.9.24
松平 博雄氏
昭和32年、チェスコ㈱ 初代社長就任。現在「チーズ&ワインアカデミー東京」の校長として活躍され、今年から始まる11月11日の「チーズの日」にちなみ今までの集大成としてチーズの本を記念出版されます。




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