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トイーゴ駐車場になる前は

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  長野にも外国人の方々が多くなってきている。おいしいカフェが安く飲める店がこの「聖地」の隣にあったら楽しいだろう、調べてみようと、バールの話をしながら、昭和通りのトイーゴの近くの「北陸銀行長野支店」支店長 鶴瀬初弘 担当得意先課の後藤真一氏に、賃借できるか否かを尋ねた。

北陸銀行長野支店はトイーゴSBCの向かいトイーゴ駐車場の場所にもとは在った。銀行の開設は60年前の昭和23年である。昭和通りに面して200メートルぐらいの距離、現在読売新聞長野支店の向かいに、株式会社諏訪角商事があった。当時は屋代(千曲市)で、有限会社諏訪角商店が甘納豆の製造をしていた。甘納豆の製造原料である小豆、大正金時、白花、青えんどうなどの豆類は、北海道から調達していた。荷為替がついた貨車一杯の豆が到着すると代金を銀行に支払わないと豆が引き取れない。屋代駅前に八十二銀行屋代支店があって、その隣に昭和倉庫屋代支店(現在昭和建物)があってそこに到着した豆を保管していた。北陸銀行は、北海道の洞爺、帯広、十勝など各地に支店網を張り巡らしている。支店がある所は、いずれも農村地帯で豆の生産地である。富山県からは大勢の開拓民が北海道に渡り、民の金融支援のために北海道の各地に支店を設けたことが始まりと聞いた。長野商業2年の夏休み、父に北海道に連れて行ってもらった。北陸銀行の各支店を先ずは尋ね、銀行の乗用車に乗って農協を訪問した。ついでに洞爺湖や阿寒湖などの観光地も廻ることができた。札幌の街の大きさに目を奪われ、支店長専用車でビル街を周り碁盤の目と同じように整然とした街の姿を知った。豆の仕入れ、決済は、北陸銀行の支店間送金によって手数料もかからず、容易になってきたのだ。昭和42年、諏訪角商店に帰ってきた当時、銀行の使いや父と一緒に行って小切手帳を取りに行くと、小切手帳の代金を支払っていなかった。窓口で、いつも大声で「何で払わなくてはいけないのだ・・・」と言っていることが度々あり、その時の声がいまだに聞こえてくる。それから永いお取引を頂いてきた。

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