
美味いものを作りたい。美味しいものをお客様に提供したい。・・・
サラリーマンから専業農家へ
私が百姓を本格的に始めたのは5年ほど前に遡る。母の看護の為、介護休暇で会社を休んだ事がきっかけとなった。
それまでの我が家は両親、女房が中心の三ちゃん農業であった。従って農業に関心が無かった訳である。介護の甲斐も無く母を無くし、父の介護の為、会社を退職せざるを得なくなった。介護の傍ら農業を始めた。しかし、素人目にみてもひどい状態であった。ぶどうの木はひどくやせ細り、枝枯れを起こしており,良い物が出来るとは到底思えなかった。林檎も然である。ふらん病が入り込んで改善が困難に思えた。何の因果で百姓になったのかと嘆く日が続いた。



お客様の声を聞くことから
我輩のモットーは <一生懸命>である。どうせやるなら美味いものを作りたい。美味しいものをお客様に提供したい。・・・が頭をもたげて来たのである。
美味い葡萄を作りたい、甘い林檎を作ってみたい、滅茶苦茶な発想である。現状をどう打開していかなくてはいけないのか我輩なりに考えた。長年、農業を経験された先輩諸氏から見れば、50半ばを過ぎた素人百姓に何が出来るのか!冷ややかな目で、陰口を叩かれたものである。私なりにお客が何を欲しているのか、機会があるたびにヒアリングを重ねたのである。
ぶどうの木の剪定
作付面積の多いぶどうから手をつける事にした。しかも自己流の為、木そのものも今から考えればまともではなかったのである。一番大事な枝が大半切られており、どう修正していいのか分からなかったのである。そこで、先輩諸氏に相談して、元気を取り戻して,作りやすい方法があるかないかを診ていただいたのである。その中のお一人である中野市のMさんに懇願して、その当時はこの辺では普及していなかった新しい剪定方法(平行整枝)で全ての葡萄園を剪定したのであった。周りからは呆れられるわ、白い目では見られるはで大変であった。もう元には戻れないと自分に言い聞かせ、周りの雑音には耳を傾けず、前進するのみであった。芽の出る時期は、隣の園からお手伝いのおばちゃん達から<枝がないね!>と言われたり<何処から葡萄がなるのかね?>といわれたり見られたりしたものでした。私自身、心配のしどうしでしたが発芽してくれたときはほっとしたものです。この方法は園が暗くならないように、主幹からでた枝が重ならないように、枝同士を平行になる様に櫛の形に枝を誘引しました。誘引作業は枝が折れてしまうことも多々あり慣れるまで大変でした。
滅茶苦茶、無鉄砲な土づくり
『土作』に関しても内部革命を起こさざるを得ませんでした。何十年掛けて痩せ細ってしまった土地を元に戻すことは容易ではありません。どうすれば健康な土壌になるか分からず、何人かのアドバイスをそのまま受け入れたものです。従って、かえって、土を壊しかねない事をしてしまったのです。10アール当り、小糠200キロ、乾燥おから300キロ、稲わら2アール分を投入しました。今から考えれば滅茶苦茶、無鉄砲な事をしたものです。施肥してから暫く畑に入れませんでした。何故なら、撒いたものが醗酵してしまって、それが層になってしまい園地の中を歩ける様な状態では無かったものでした。当時は園地を早く元に戻したい一心で言われたことは何でもやったものです。 2008.1.2





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